代表 加藤昭江の紹介

経歴

父親の仕事(満州鉄道重役)の関係で、東京で生まれたが幼いころ、中国(瀋陽)に渡り、北京大学を卒業。その間、第2次世界大戦が終結(中国は戦勝国)し、 外国の軍などは引き上げましたが、今度は国内で共産党と国民党の内戦が勃発、長く厳しい生死を分けた戦いを解放軍の一員として、9年間、東北から海南島まで同志の皆とともに、戦いぬきました。蒋介石率いる国民党を台湾に追い落としました。この間、蒋介石(国民等)より首に、賞金をかけられたりもしま した。東より来た女八路軍として話題になり、後に「她従東瀛来」という小説になりました、それが中国国内で200万部以上売れる空前のベストセラーとなり ました。

中国のホームページ内にある解放軍設立84周年の記事


解放軍の女性のトップと

参謀長と

加藤昭江の本 她従東瀛来
李鵬元首相は北京の時の同期生であり、(中華人民共和国) 建国を担った人達(皆)とは俗に言う「同じ釜の飯を食べた」仲間であります。若き日 苦難を共にした同志の絆は今も益々輝きを増し、親交はいまだ途絶えることはありません。その頃、幼かった人たちが今の中国の政治の分野の指導者であったり、大企業(国家級)の経営者(例えば現在の人民銀行の頭取も幼く本当にかわいい子供でありました)達であります。
■河野議長 温 家宝首相  右後方 加藤昭江
桜内議長と李鵬首相 加藤社長
中国は大戦に続く内戦と 長い間戦争に明け暮れし、経済の面では大きく遅れてしまいました。1955年(昭和30年)ごろ、社会的には大まか安定してきて、経済面の向上、発展が最重要課題、緊急課題となりました。貿易による立国に寄与したいと考え(日中の架け橋になりたいとの思い)、1958年(昭和33年)日本に帰国。中国政府関係者、日本側、大企業(三菱、日立など)の経営者等の依頼を受け、日本国際貿易促進協会の設立に尽力いたしました。設立から今日まで、毎年、中国側、と日本の経済界の方々との話し合いを取り持ったり、問題を双方で解決できるよう仲介したり してまいりました。現在、協会 会長は前参議院議長 河野 洋平  加藤は理事を勤めています。また、産業界のあらゆる方面から、中国と取引したい、中国に進出したい、なんとか手伝って欲しいという要望が余りに多く寄せられ 、自身では三菱マテリアル、ニチメン、都民銀行などに少々出資(株主)をお願いし貿易商社 共和資材株式会社を設立、いたしました。日清食品(株)(当時の安藤社長は亡くなり、今はご子息が社長)、北京イトーヨーカ堂(当時、北京支店長の塙さんは現在本社の取締役)の中国進出を手伝ったり、当社自体も資本を出資して17社の合弁企業を設立、。そのうち3社はお譲りいたしましたが、あとの14社には現在も関与、参画しており、盛業中であります。
日本国際貿易促進協会 加藤社長 橋本元首相 藤原社長  島津製作所の会長

また、医療の面では西洋的医療の施療、施設などが大幅に遅れていましたので、日本、中国両政府が協力して、北京に西洋医療の中心になるような中日友好病院を発足させました。加藤も尽力し、鍬入れもさせていただきました。また、東洋医学(漢方)はすばらしいものであります。そこで、東洋医学と西洋医学の一体化について長年尽力し、東方医療振興財団(理事長 谷 美智士氏)の設立に協力し、現在も理事として参加しています。

中国北京 中日友好病院

2011年8月8日加藤昭江が中国大使館の公使の呂氏と最近の経済情勢について話し合う

中国大使館のホームページより

中国からの表彰

2005年(平成17年)中国より中国の市場経済移行に寄与した世界の人々100人のなかに日本人としてただ一人表彰されました。

現在の職務

共和資材株式会社代表取締役
浪速貿易株式会社代表取締役
日本国際貿易促進協会理事
東方医療振興財団理事
■その他 数社の会員役員、相談員、顧問を兼務

過去の合弁・独資・協力の会社一覧(17社以上)

日清食品株式会社CKD株式会社キーパー株式会社
共同油脂株式会社株式会社サンライフ千住金属工業株式会社
三菱マテリアル株式会社双日株式会社東方医療財団
松下電器産業株式会社明治ケンコーハム株式会社三菱商事株式会社
明治乳業株式会社東芝タンガロイ株式会社株式会社サンリック
■その他3社に関しては合弁機関30年を経過し解散もしくは譲渡済み
浣沙美容室東都石油化工株式会社威海威和水産食品株式会社
徐州東和工芸株式会社藤和国際貿易株式会社玉川機械株式会社
■共和資材と在中投資企業